うどん小話 番外編 その二十二 団子の串(パート2)
汗と鼻血は嘘をつきません。普通は汗と涙と言うところですが、K三兄弟にかぎり鼻血は出しても涙は流しません。K先生の指導方法がすばらしいのはわかっているのですが、私にはこの兄弟の肩に空手の神様が乗っているような気がします。
沖縄のT先生(沖縄剛泊会・会長、月刊空手道9月号の表紙になっている先生)が、常々「武道の神様が自分の肩に乗る人、乗らない人、また乗っていてもコロリと落ちる人がいるのですよ」と、言っていたことを思い出します。
神様の話が出てきたところで、団子の串が「古事記」のなかに出てくる神話となぜかかわっているのかを書いてみます。
「古事記」の"うけいの勝負"の場面で物実(ものざね)の思想が出てきます。天照大御神と須佐之男命が天安河(あめのやすのかわ)を間にはさんで、神意を尋ねるための"うけいの儀式"を執り行ったことを"うけいの勝負"といいます。この"うけいの勝負"により五男三女神、すなわち八柱の神様がお生まれになりました。この神様が日本の八幡様の原型です。日本の神様のおもしろいところは神が神を生むことです。しかも"息吹"で生みます。
さてこゝで物実とは何なのか・・・・?
「この世は因縁の世界です。物実がなければ物を作ることができません。すなわち蒔かぬ種は生えないと言うことです。そして良い種を蒔けば良い実がつき、悪い種を蒔けば悪い実がつく」。
このことをわかりやすく表現したのが"団子の串"です。K先生を取り巻く家族・友人・知人、みんなが良い因縁の一本の串、すなわち物実で貫かれていたからこそ今度のような結果が出たのだと思います。
話が少々難しくなりましたが、まぁ~簡単に言えば、人と人の縁を大切にしなさいと「古事記」は我々現代人にメッセージを送っているのでしょう。
神様の話は難しい・・・・、と言うことで"串"の話は終わります。